こたつミカン

 

冬の定番と言えば、誰が何と言おうと「こたつにミカン」だ。

私の中に描かれる理想の冬の風景は、いつも決まっている。

古いけれど清潔な座敷の真ん中に鎮座する、あの温かい四角い魔術師。

こたつの上には、竹で編まれた素朴な籠。その中には、山積みのミカンが鈍く光を

放ちながら、**「さあ、剥きなさい」**とばかりにごろごろと転がっている。

傍らには火鉢があり、その上でやかんが静かに湯気を立てている。

ああ、なんと贅沢で、満ち足りた日本の原風景だろう。

て、理想はここまで。

現実の私は、この「辺境の地」と呼ぶにふさわしい、

六畳以下の貧乏四畳半で息をしている。当然ながら、私の部屋には、

あの温かい日本の風情など、かけらもない。

まず、こたつがない。 代わりに毛布にくるまる。 火鉢?

 そんな古風なものはどこを探してもない。 やかんもない。

電気ケトルが唯一の湯沸かし器だ。 そして、ミカンをのせるための「籠」も、

もちろんない。

あるのは、段ボールの切れ端の上に、申し訳程度に広げられた新聞紙と、

そこに乗るただ一つの救済物――ミカンだけだ。

なぜ、ミカンだけはあるのか? 

それは、今年の価格が、私の硬い財布の紐を一瞬で緩めたからに他ならない。

店頭に並ぶオレンジ色の塊たちを見た瞬間、私は直感した。

「これは豊漁に違いない」と。昨年よりも明らかに、

価格表示が私に微笑みかけているように感じたのだ。夏の猛暑がミカンの生育に

どう影響を及ぼしたのか、素人なりに考えてみる。もしかしたら、

酷暑がむしろ糖度を上げたのか、あるいは逆の理由で大量に出回ったのか。

理屈は分からない。

だが、そんな小難しいことはどうでもいい。なんといっても、この手が届く価格。

貧乏な暮らしの中でも、「贅沢」ではなく「日常の栄養」として迎え入れられる

その安さが、私の購買意欲を熱く刺激したのだ。

テレビのニュースでは、遠く離れた街の積雪の画像が流れている。

白い猛吹雪が画面いっぱいに広がり、その冷たさが四畳半の薄い壁を突き抜けて

伝わってくるようだ。

こたつはない。けれど、私は今、この冷たい部屋で、吹雪の画像を眺めながら、

手のひらに乗る唯一の温かい物体――ミカンを手にしている。

想像する。

もし、今、目の前にこたつがあったなら。このミカンをひとつ、二つ、無心に食べ続け、

あの温かい毛布の中で眠ってしまえるだろう。

こたつがないなら、せめて気分だけでも。

私はミカンの薄皮を丁寧に剥きながら、目の前の吹雪を、

愛しい「白い恋人」に見立てて、そっと口に運ぶ。

この、辺境の四畳半で手に入れた、ちいさな、ちいさな革命の味だ。








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