スーパーマーケットの入り口には、仰々しくパック詰めされた春の七草が並んでいる。
正月休みが明けてもなお、世間は無病息災を願う行事に余念がないらしい。
だが、この四畳半の住人である私に言わせれば、たかが雑草に数百円もの大金を払うなど、
正気の沙汰とは思えなかった。
七日を過ぎれば見切り品として安売りされるだろうが、それを待つのも癪である。
そこで私は閃いた。道端に生えている草で代用すればいいではないか。
実は毎年、プランターで七草を栽培しようと画策はしているのだ。
しかし、肝心の種がどこにも売っていない。ならば話は早い。
野に咲くぺんぺん草やはこべら、せり、ごぎょう、ほとけのざを採取し、
一部をプランターに移植して来年への布石とし、残りを今年の粥にして食す。
これぞ、元手ゼロから始まる壮大な無病息災計画。
私は高揚する気持ちを抑えきれず、採取袋を手に外へと飛び出した。
三が日が過ぎ、この最果ての地にも日常の活気が戻りつつある。
ナショナルチェーンの大型店も、年季の入った個人商店も、平然とした顔でシャッターを
開けている。足早に通り過ぎる車を横目に、私は歩道の足元に視線を落とした。
だが、現実は厳しい。そこにあるのは春の七草とは程遠い、ただの硬そうな雑草ばかりだ。
私は気を引き締め、さらに先へと進む。
すると向こうから、小型犬を連れた高齢のご婦人が歩いてきた。
犬は可愛らしい服を着せられ、寒さ対策も万全のようだ。
微笑ましい光景だな、と目を細めたその瞬間だった。
その小型犬は、道端の草むらに向かって勢いよく放尿した。
ああ、私のぺんぺん草が。
濡れそぼる草を呆然と見つめる私に、ご婦人はぺこりと丁寧に頭を下げて去っていく。
やり場のない怒りを抱えながら、私は再び歩き出した。
辺境の地とはいえ、人様の大根畑やかぶの畑に手を出すわけにはいかない。
倫理観と食欲の狭間で葛藤しながら、私は山を一つ越えるほどの勢いで歩き回った。
しかし、無情にも時間は過ぎていく。どれほど目を皿のようにして地面を這い回っても、
見つかるのはせいぜいヨモギくらいのものだった。
結局、胃腸を休めるはずの七日は、終わってみれば体力的にも精神的にもボロボロに
なるまで歩き通した一日となった。無病息災を願う前に、この疲労困憊した体に栄養が
必要なのは明白だった。
私の壮大な計画は、寒空の下で静かに潰えたのである。

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