貧乏生活

 あーあ、と。 思わず口から漏れたため息が、冷え切った四畳半の空気に溶けていく。

手元にあるのは、自治体指定のゴミ袋だ。これ一枚に数百円。

昔なら、ゴミなんて捨てればそれでおしまいだったはずなのに。

今や、捨てるという行為そのものにお金を払わなければならない。

食品を買えば、中身を食べた後には必ずプラスチックの袋やトレイが残る。

生きるために買ったものの残骸を処分するために、また身銭を切る。

市民税や県民税、あんなに引かれているのに、ゴミの処理代さえ賄えないというのか。

なるべくゴミを出さないようにと気をつけてはいる。

けれど、現代の食品は過保護なほど個包装に溢れている。

燃やすわけにもいかないそれらを、私は指定の袋へ目一杯に詰め込む。

少しでも隙間があれば損をした気分になるから、ぎゅうぎゅうに押し込んで、

破れないギリギリのところで口を縛る。この薄っぺらいポリ袋の代金さえ、

今の私の暮らしには重くのしかかってくるのだ。

そして、ゴミ袋以上に悩んでいるのが、お米の値段である。

最近は、いかに米の消費を抑えるかの戦いだ。パスタを茹で、インスタントラーメン

すすり、カップ麺で空腹を誤魔化す。そうやって工夫に工夫を重ね、

一ヶ月の米の使用量をようやく五キロにまで抑え込むことに成功した。

それなのに。

その五キロを買うだけで、四千円から五千円が飛んでいく。かつての相場を思えば、

悲しくてやりきれない。一体いつになったら、この価格は落ち着いてくれるのだろうか。

次の選挙で何かが変わるのか。それとも、このまま高騰し続けるのを指をくわえて

見ているしかないのか。

おかずを減らすことはできる。彩りなんてなくていい。茶色い漬物が一切れあれば、

それでいい。けれど、ご飯だけは外せないのだ。




四畳半の静かな夜、ささやかな和食の真ん中には、必ず白米がなければならない。

それは単なる栄養素ではなく、この生活を維持するための最後の砦であり、誇りでもある。

もしもお米が買えなくなってしまったら。

その時こそ、この四畳半の暮らしは本当の終わりを迎えるだろう。

早く価格が落ち着いてほしい。炊き立ての湯気の向こうに、ささやかな安らぎを

感じられる日が戻ってきてほしい。 ただそれだけが、明日への唯一の希望なのだ。




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